

セパ交流戦がはじまった。今季も阪神には「鬼門」となりそうだ。(哲
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穴井 太 夕焼雀砂浴び砂に死の記憶 この句が載っている本には鑑賞者がいて、その人によるとどうもこの句は長崎の被爆の悲しみや憤りを詠った句らしい。仮にそれが自解などで間違いない創作動機であったにしてもこの句にはそんなことは書かれていない。夕焼けの中で雀が砂浴びをしているのを見ていると、作者には砂に「死」というものの記憶が感じられるという句である。それ以外のことは書いてない。僕に感じられるのは第一に夕焼雀という造語の抒情性。第二に雀の砂浴びという平和な風景の中に「死」を見ている作者の感性。「死」が理不尽なものであろうと自然死であろうと関係ない。たとえば輪廻転生を繰返してきた人の前世の記憶であってもいい。『現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖) ![]() ★どなたでも書き込めます★ ■右端をクリックしPasswordにtestと入れてSendを押す ■白ボードに本文と署名(必須)で35字迄 書いたらWriteを押す■書き込み数10以上は古い順に消えてゆきます SCRIPT by courtesy of jyaki
May 17 2012朝吹英和 終りから始まる話青葉木莵 書き出しから、終わっている話ってあるなぁ、とこの句を読んでそんな小説の書きだしを思い出してみた。結末は予想されないけど、何かしらことが終わった回想で筋を追う形式のものか、コロンボや古畑任三郎のように犯人も結末も提示した中で話が始める推理物か。ともかくも、後ろから読み手が展開を追う話だろう。暗闇でずっと目を開けて、鋭い爪で獲物をとらえるふくろうは知の神とされていて、ギリシャの女神アテナイの使いでもある。何もかも知っている青葉木莵の低い鳴き声で神秘的なドラマが展開される。「夏燕王妃の胸を掠めけり」「降り注ぐラヴェルの和音新樹光」など古典や音楽から題材をとった句が多いこの句集全体の語り手も青葉木莵なのかもしれない。『光の槍』(2006)所収。(三宅やよい) May 16 2012菊田一夫 南風や小猿の赤いちゃんちゃんこ 4、5月頃から吹きはじめる湿った暖かい風が南風。北風とちがって大方は待たれている風であるゆえに、日本の各地でさまざまな呼び方がされている。正南風(まみなみ、まはえ)、南風(みなみかぜ、なんぷう、はえ)、南東風(はえごち)、南西風(はえにし)……。気候と密接な関係にある農/漁業者の労働にとって,特に無視できない南から吹く風である。夏の到来を告げる風。小猿が着ている「ちゃんちゃんこ」は冬の季語だが、小猿が季節はずれのちゃんちゃんこをまだ着ているうちに,夏がやってきたよ、というやさしい気持ちが句にはこめられている。動物園などに飼われている猿ではなく、動物好きの個人に飼われて愛嬌を振りまいているのを、通りがかりに目にしたのだろう。赤いちゃんちゃんこをまだ着せたままになっていることに対する気持ちと、「もう夏だというのに……」という気持ちの両方をこめながら、作者は微笑んでいるようだ。芭蕉は「猿も小蓑をほしげなり」と詠んだが、ここはすでに「蓑」の時代ではない。加藤楸邨に「遺書封ず南風の雲のしかかり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄) ![]()
ただし、例えば切れ字の「かな」と「仮名文字」の意味の「かな」などとの識別はしていません。また漢字コードとの絡みで、入力した文字を含まない句が出てくる場合もあります。ご容赦を。 ■詩集『黄燐と投げ縄』(書肆山田) ■清水哲男句集『打つや太鼓』(書肆山田) ■清水哲男『「家族の俳句」歳時記』(主婦の友社) ■清水哲男『増殖する俳句歳時記』抄(ナナ・コーポレート) |