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October 261997

山口波津女

けふ貼りし障子に近く墨を摺る

子を張りかえると、部屋の中が明るくなって新鮮な気分になる。その新鮮な気分で、作者はこれから物を書こうとして墨を摺(す)っている。ぴいんと張り詰めた気持ちのなかにも、どこか安らぎが感じられる句だ。障子貼りはあれでなかなか大変で、襖貼りほどではないにしても、けっこう神経の疲れる労働だ。子供の頃にはよく貼らされたものだが、不器用なので失敗ばかりしていた。我が家もそうだが、いまでは障子のない家庭も多い。子供たちは障子紙も知らないし、ましてや紙は障子の下方から貼っていくなどというテクニックも知らない。知らなくても不都合はないが、こうした句を味わえない不都合はある。白石三郎に「話しつつ妻隠れゆく障子貼」の一句。こんな日常茶飯事も、都会ではもはや懐しい光景となりつつある。(清水哲男)

December 101999

泉田秋硯

障子貼つて中仙道と紙一重

語は「障子(しょうじ)貼る」で秋。冬に備えて障子を張り替えた習慣から。「障子」だけなら冬季。「中仙道(中山道)」は、五街道の一つ。江戸日本橋を起点に信濃・美濃などを経て草津で東海道と合流し、京都に至る。作者は関西の人だから、草津あたりの光景だろうか。句のウィットが、なんとも楽しい。ぴしっと貼られた障子の外はというと、数々のドラマの舞台ともなってきた天下の中仙道である。そう思うだけで、心がざわめくような気がする。その気持ちを「紙一重」で表現した巧みさ。舌を巻くテクニックだ。俳句は簡単に作れる。十七音節に季語一個を用意して、俳句らしい気分、という気合いを「えい」とかけると一句になる。阿部完市は、この作り方を「俳句からくり機械」を使っていると揶揄しているが、この句はとても「からくり機械」ではできないだろう。もう一句。「溢れても柚子悉く湯にのこる」。冬至の柚子湯である。これまた、機械ではできない句だ。『薔薇の緊張』(1993)所収。(清水哲男)


September 142004

草間時彦

障子貼る母の手さばき妻の敵

語は「障子貼る」で秋。といっても障子貼りは冬支度だから、もう少し先、晩秋の季語だ。当歳時記では便宜上、紙を貼る前の「障子洗ふ」に分類しておく。これはまた、言いにくいことをずばりと言ってのけた句だ。二世代同居の家庭では、嫁と姑の微妙な心理的確執はなかなか避けられまい。両者とも表面的には仲が良さそうに見えても、内実は大変なのだという句である。障子を貼る母には、おそらく何の屈託も無いだろう。見事な「手さばき」で手際よく次々に貼っていく。息子の作者としても、見惚れるほどの巧みさなのだ。だがしかし、妻には欠けているこうした見事な技術が、実は「妻の敵」として「母」を位置づけてしまう哀しさがある。障子貼りに限らず、気にしはじめればキリがないほどに、こういうことが日常的にいろいろと起きている。妻がまさか義母を「敵」などと言うはずもないのだけれど、はっきり言えばそういうことだと、作者は憮然としているのである。しかも上手な解決法などありはしないから、一つ一つをやり過ごしてゆくしかないのだ。子供の頃から母は自分の「味方」であり、現在は妻もむろん「味方」である。だからといって気楽なものだと言えないところに、この句の苦さがある。ぼんやりしているようでいて、男だってけっこう細かいところを見て感じているということだ。『中年』(1965)所収。(清水哲男)


October 102007

松本清張

障子洗ふ上を人声通りけり

時記には今も「障子洗ふ」や「障子の貼替」は残っているけれど、そんな光景はごく限られた光景になってしまった。私などが少年の頃は、古い障子を貼り替えて寒い季節をむかえる準備を毎年手伝わされた。古くなった障子を指で思い切りバンバン突いて破って、おもしろ半分にバリバリ引きはがした。本来、破いたりはがしたりしてはならない障子を、公然と破く快感。そして川の水でていねいに桟を洗って乾かし、ふのりを刷毛で多すぎず少なすぎず桟に塗り、巻いた障子紙をころがしながら貼ってゆく作業を母親から教わった。なかなかうまく運ばない。でも変色した障子にかわって、真ッ白い障子紙が広がってゆく、その転換は新鮮な驚きを伴うものだった。掲句は道路から数段降りた川べりの洗い場での作業であろう。「上を」という距離感がいい。正確には「障子戸」を洗っているわけだ。一所懸命に作業をしている人に、上の道路を通り過ぎて行く人が声をかけているという図である。「ご精が出ますねえ」とか「もうすぐ寒くなりますなあ」とでも声をかけているのだろう。その作業を通じて、作業をする人も声をかける人も、ともにこれからやってくる寒い季節に対する心の準備を、改めて確認している。同時にある緊張感も伝わってくる。あわただしいなかにも、のんびりとしてかよい合う心が感じられる。松本清張が残した俳句は少ないそうだが、ほかに「子に教へ自らも噛む木の芽かな」という句もある。いずれも、推理小説とはちがった素朴な味わいがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 272007

原三猿郎

障子はる手もとにはかにくれにけり

起きるとまず、リビングの窓を開けて、隣家の瓦屋根の上に広がる空を見るのが日課である。リビングの掃き出し窓にカーテンはなく、そのかわりに正方形の黒みがかった桟の障子が四枚。それをかたりと引いて、窓を開け朝の空気を入れる。カーテンに比べると、保温性には欠けるのかもしれないが、障子を通して差し込む光には、四季の表情がある。張り替えは、我が家では年末の大掃除の頃になってしまうのだが、「障子貼る」は「障子洗ふ」と共に秋季。確かに、秋晴の青空の下でやるのが理にかなっており、まさに冬支度である。急に日の落ちるのが早くなるこの時期。古い紙を取り除き、洗って乾かして、貼ってさらに乾かして、と思いのほか時間がかかってしまったのだろう。にはかにくれにけり、とひらがなで叙したことで、つるべ落としの感じが出ており、手もとに焦点を絞ったことで、暮れゆく中に、貼りたての障子の白さが浮き上がる。毎年、障子を張り替えるよ、というと友達を連れてきて一緒に嬉しそうに破っていた姪も中学生、今年はもう興味ないかも。作者の三猿郎(さんえんろう)は虚子に嘱望されていたが、昭和五年に四十四歳の若さで世を去ったときく。虚子編新歳時記(1934・三省堂)所載。(今井肖子)




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