季語が鶯の句

March 201998

橋本多佳子

鴬やかまどは焔をしみなく

は春。鴬が鳴いている。竃の火はごうごうと焔をあげている。この他に何を望むことがあろうか。身心ともに充実した感じが、心地よく伝わってくる。日常生活のなかの充足感を、このように具象的にうたった句は意外に少ない。というよりも、たぶん幸福な感情をそのまま直截にうたうこと、それ自体が「文芸」には至難の業なのである。不得意なのだ。だからこそ、この句は際立つ。まぶしいほどだ。敗戦一年前の1944年(昭和19年)の作品。このとき、作者は大阪から奈良西大寺近くの菅原へ疎開していた。夫をなくしてから病気がちであった作者も、ここ菅原の地で健康を回復している。それゆえの掲出句の元気のよさなのだが、そんなことは知らなくても、十分にこの句の幸福感は読者のものとなるはずである。『信濃』(1947)所収。(清水哲男)

February 201999

宝井其角

鴬の身を逆にはつね哉

来曰「角(其角)が句ハ春煖の亂鴬也。幼鴬に身を逆にする曲なし。初の字心得がたし」(『去来抄』)とあって、この句は去来が痛烈に批判したことでも有名になった。「はつね」というのだから、この鴬はまだ幼いはずだ。そんな幼い鴬が、身をさかさまにして鳴くなどの芸当ができるわけがない。「凡物を作するに、本性をしるべし」とぴしゃりと説教を垂れてから、其角ほどの巧者でもこんな過ちを犯すのだから、初心者はよほど気をつけるようにと説いている。理屈としては、たしかに去来のほうに軍配は上がるが、しかし、ポエジー的には其角の「曲」のほうが勝っている。春いちばんに聴いた鴬の姿は事実に反するとしても、作者の楽しげな気分が活写されているではないか。このように其角には、客観写生をひょいと逸脱するところがあり、昔からそこが「よい」という読者と、そこが「駄目」という読者がいる。私は「よい」派ですが、あなたはどうお考えでしょうか。『去来抄』の鴬の句で評判がよいのは、なんといっても半残の「鴬の舌に乗てや花の露」だ。「てや」がよい、一字千金だと去来が言い、丈草にいたっては「てやといへるあたり、上手のこま廻しを見るがごとし」と変な讃め方までしている。(清水哲男)

[早速、読者より]「我が家で飼ってる鶯は幼鶯ですが、逆さで鳴いたりしてますけど・・・。むしろ、年とってるヤツの方が落ち着いてるせいかそんなことしないみたい」。となれば、去来はピンチですね。ありがとうございました。


April 242000

星野立子

うぐひすや寝起よき子と話しゐる

くもなく暑くもない春の朝は、それだけでも快適だ。加えて、若い作者には、すこぶる寝起きのよい幼な子がいる。この場合の「寝起よき子」には、多少の親ばかぶりを加味した「かしこい子」という意味合いが含まれている。とにかく、自慢の娘(実は、現俳人の星野椿さん)なのだ。そんな娘と他愛ない会話をしているだけで、作者の気持ちは晴れ晴れとしている。ご満悦なのだ。近くで鳴いている鴬の音も、まるで我と我が子を祝福しているかのように聞こえている。そんな立子の上機嫌は、読者にもすぐに伝わってくる。昭和十年代も初期か少し前の作品だと思う。この国が大戦争へと雪崩れて行きつつあった時代だが、市井の生活者には、まだ目に見えるほどの影響は及んでいなかった。こんな朝の通りに出れば、どこからともなく味噌汁の香りが流れてき、登校前の小学生が国語読本を音読する声も洩れ聞こえてきただろう。戦前の映画で、そのような雰囲気のシーンを見たことがある。「時は春、日は朝、朝は七時、……」と書いたのはロバート・ブラウニングだったと記憶するが、句の鴬の鳴き声も、作者にはきっとこのように響いていたのではあるまいか。『立子句集』(1937)所収。(清水哲男)


September 082000

大高源五

手拭に桔梗をしほれ水の色

古屋から出ている俳誌「耕」(加藤耕子主宰)をご恵贈いただいた。なかに、木内美恵子「赤穂義士・大高源五の俳句の世界」が連載されていて、飛びついて読んだ。源五が俳人(俳号・子葉)であり、其角と親しかったのは知っていたが、きちんと読んだことはない。掲句は、木内さんが九月号に紹介されている句で、一読、賛嘆した。詠んだ土地は、江戸から赤穂への途次に宿泊した見付の宿(現・静岡県磐田市)だと、これは源五が書いている。残暑の候。そこに「丸池」という美しい池があり、源五は首に巻いていた「手拭」を水に浸した。池辺には、桔梗の花(と、これは私の想像)。「しほれ」は「しぼれ(絞れ)」である。句は、桔梗を写す水に浸した真っ白い手拭いを絞るときに、桔梗の花のような色彩の「水の色」よ、出でよと念じている。念じているというよりも、桔梗色の水が絞り出されて当然という感覚だ。「桔梗をしほれ」とは、そう簡単には出てこない表現だろう。本当に、桔梗の花を両手で絞るかの思いと勢いがある。源五がよほど俳句を修練していたことがうかがえるし、その前に、動かしがたい天賦の才を感じる。其角とウマが合ったのも、わかる気がする。赤穂浪士切腹に際して、其角が次の句を残したのは有名だ。「うぐひすに此芥子酢はなみだかな」。源五を生かしておきたかった。(清水哲男)


April 152001

佐藤佐保子

友ら老いてうぐいす谷の橋の上

京に「鶯谷(うぐいすだに)」の地名がある。岐阜にも同じ地名はあるが、この「橋」は上野公園の端っこから根岸に渡る「凌雲橋」あたりかと、勝手に見当をつけておく。掲句は「鶯谷」を「うぐいす」と「谷」に割って表記したところがミソだ。割ったままで読むと、老いた友人たちと山の谷間を散策する作者が「うぐいす」の声のする方を見やると、小さな「橋」がかかっており、そこに「うぐいす」がいるような感じがしたという牧歌的な情景にうつる。しかし、割らないで読むと、いきなり舞台は都会に変転して、山手線は鶯谷近くの橋の上を、友人たちと歩いている光景になる。「うぐいす」と「谷」を分けることで、両方の光景がダブル・イメージとなって、読者に飛び込んでくる。言葉遊びではあるけれど、それに終わっていない。両者の主情がほのかに通い合い、絶妙の効果をあげている。実際は、都会の「鶯谷」の「橋の上」なのだ。クラス会か何かの帰りだろうと思う。若き日と同じように、みんなが囀るようにおしゃべりしているのだが、その声音には歴然と老いが感じられる。隠せない。そう言えば、ここは「うぐいす」「谷」だった。一瞬、人里離れた谷間で老いていく「うぐいす」のことも思われて、侘びしくもあり、どこかこの現実が信じられなく受け入れがたい気持ちでもあり……。みんな綺麗だったから、それこそ「鶯鳴かせたことも」あったのにと、作者は陽気に囀りながらも思うのである。ちょっと、言い過ぎたかな。『昭和俳句選集』(1977・永田書房)所載。(清水哲男)


March 092002

ふけとしこ

荷造りに掛ける体重初うぐひす

つう俳句で「初うぐひす」といえば、新年の季語。めでたさを演出するために、飼育している鴬に照明を当てて人為的に鳴かせることを言う。が、掲句では情景からして、初音(はつね)のことと思われる。この春、はじめて聞く鴬の鳴き声だ。「初音かや忌明の文を書く窓に」(高木時子)。最近ではコンテナーや段ボール箱の普及に伴い、あまり荷造りする必要がなくなった。たぶん、作者は資源ごみとして出すために、古新聞を束ねているのではなかろうか。きちんと束ねるためには、膝で「体重」を掛けておいてから、しっかりと縛る。そんな作業の最中に、どこからか初音が聞こえてきた。「春が来たんだなあ」と嬉しくなって、もう一度ちゃんと体重を掛け直した……。体重に着目したところが、なんともユニークだ。情景が、よく見えてくる。私などがこうした情景を詠むとすれば、むしろ紐を縛る手の力に注意が行ってしまうだろう。言われてみれば、なるほど、荷造りとは体重と手の力の協同作業である。納得して、うならされました。初音で思い出したが、京都での学生時代の下宿先の住所は北区小山「初音」町。で、実家のあった東京での住所が西多摩郡多西村「草花」。優雅な地名に親しかったにしては、いまひとつ風流心に欠けている。情けなや。「ホタル通信」(2002年3月8日付・24号)所載。(清水哲男)


April 042002

佐藤和枝

ポケットの鶯笛に手の触れぬ

語は「鶯笛(うぐいすぶえ)」で春。上手に吹けば、鶯そっくりの音が出る。よく梅園などで売られているので、梅見の帰路の句かもしれない。懐かしさにかられて買い求め、そっとコートのポケットに収めた。そのうちに買ったことすら忘れてしまっていたのだが、ふと手が触れたときに一瞬何だろうと思い、「ああ、さっき買ったんだっけ」と思い出した。表面的にはそれだけの句だけれど、さりげなく伝えられている作者の心の弾みが心地よい。いま取りだして歩きながら、子供のようにピーピー吹くわけにはいかないが、家に戻ったら吹いてみよう。昔みたいに、うまく吹けるかしら……。楽しみだ。そんなささやかな心の弾みである。名所や観光地に出かけると、このような郷愁を誘う玩具に出くわす。笛の類はもちろん、独楽やら竹とんぼやら達磨落としやら首を振る虎やらと、どういうわけかビー玉だとかビーズ細工なんてのまで売っていたりする。つい買ってしまい、帰宅してからちょっと遊んでみるだけで、いつの間にやらどこかに紛れてしまう。逆に買おうかどうしようかと逡巡して、結局買わずに帰り、やっぱりあのときに買えばよかったと、ひどく後悔することもある。郷愁の玩具。現代の子供が大人になったら、そう呼べるものはあるのだろうか。脱線して、そんなことも思ったことである。「俳句研究」(2002年4月号)所載。(清水哲男)


March 312003

瀧井孝作

背のびして羽ふるはせてうぐひすの

者が、東京・八王子の自宅で飼っていた「うぐひす」を観察して得た句だという。「俳句は、見て見て見抜いて写生するもの」と言った人だけに、なるほど、見て見て見抜いている。全身の力を使って鳴いている健気さが、よく伝わってくる。だから、あんなに小さくても、よく透る声が出るのだ。その点、人間はどうだろうか。と、句は何も言っていないけれど、そんな問い掛けをされた気持ちになる句でもあるだろう。赤ん坊のころこそ全身を使って泣いたりはしても、成長するにしたがって、口先で物を言うことを覚えてしまう。どこか、うさんくさい存在に仕上がっていく。仕方のないこととはいえ、だからこそ私たちは逆に、たとえば句のウグイスのような欲も得もない全身的純粋表現に憧れるのだろう。下五の「うぐひすの」と流した押さえ方が、目を引く。これは句を、ここで完結させないための技法だと読める。つまり、「うぐひすの」は上五の「背のびして」に、おのずから循環していく。いつまでも、句をくるくると回しておく仕掛けなのだ。鳥籠のなかのウグイスの健気さや愛らしさを、いっそう読者に強く印象づけるためのテクニックだと言うべきか。なお、現在ではウグイスを簡単に飼育することはできない。メジロ、ウグイス、オオルリ、シジュウカラなどの小鳥や一定の動物は「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」により、環境庁長官又は都道府県知事の捕獲の許可がなければ、捕獲できない鳥獣とされているからだ。また、許可を得て捕獲した鳥獣も、都道府県知事の飼養(飼育)の許可がなければ飼養できないことになっている。『浮寝鳥』(1943)所収。(清水哲男)


February 292004

与謝蕪村

うぐひすや家内揃うて飯時分

食時だろう。家族がみんな揃った食事時に「うぐひす(鶯)」が鳴いた。と、ただそれだけの句であるが、現代人の感覚で捉えると趣を読み間違えてしまう。「家内揃うて」は、現代の日曜日などのように、一週間ぶりくらいにみんなが顔を合わせているということではないからだ。昔は家族「揃うて」食事をするほうが、むしろ当たり前だった。だから、句の情景には現代的な家族団欒などという意味合いはない。一年中春夏秋冬、いつだって家族は揃って食事をとるのが普通だったのだ。では蕪村は、何故わざわざ「家内揃うて」などと、ことさらに当たり前のことを強調したのだろうか。それは「うぐひす」が鳴いたからである。何の変哲もないいつもの「飯時分(めしじぶん)」に、春を告げる鳥の声が聞こえてきた。途端に、作者の心は待ちかねていた春の到来を想って、ぽっと明るくなった。気持ちが明るくなると、日頃何とも思っていない状態にも心が動いたりする。そこで、あらためて家族がみな揃ってつつがなく、今年も春を迎えられたことのありがたさを噛みしめたというわけだ。蕪村の心の内をこう単純化してしまうとミもフタもないし、句の味わいも薄れるけれど、大筋としてはそういうことだと考える。現代詩人である吉野弘に、虹の中にいる人には虹は見えないといった詩があるが、掲句では虹の中の人が虹を見ていると言えるのではあるまいか。今日で二月もおしまいだ。現代の読者諸兄姉は、どんな春を迎えようとしているのだろうか。掲句のようにゆったりと、それぞれの虹を見つめられますように。(清水哲男)


February 102007

池内友次郎

鶯や白黒の鍵楽を秘む

楽をするのだから俳句を作ってみたらどうか、と虚子に言われ何となく作り始めた、と次男友次郎は述懐している。渡仏をひかえた二十歳頃のことだ。調べ、リズムが俳句の大切な要素の一つであるのもさることながら、友次郎のユニークな感覚が生む句を見たかったのだろう。この句は、友次郎三十一歳、パリ留学から帰ったばかりの頃の作。音楽の仕事の合間に自然に生まれてきた句ということなので、白黒(びゃっこく)の鍵はピアノの鍵盤。溢れ出るイメージが指を動かし、鍵盤にふれることでそれが音になり耳からまた体内へ。そんな風に彼の音楽が生まれている時、ふと鶯が鳴いたのだ。誰が作ったわけでもない自然の、春を告げる澄んだ音色。手を休めて、しばらく鶯の声を聴いていたのではないか。そして目の前のピアノをぼんやり見つめるうちに、まるで鶯の声に誘われるように、彼の中でまた音楽が生まれ始めたことだろう。「楽」を秘めているのは友次郎自身であり、ピアノを詠んでいながら、聞こえるのは鮮やかな鶯の声である。音楽家らしい一句だが、戦後本業が忙しくなったこともあり、俳句から遠ざかっていく。そんな友次郎に虚子が、「おまえはかなりな句を作っていたのに何故このごろ作らなくなったのか」と言い、「あなたのような人を父としたから句を作る気にならなくなった」と答えると、「悪かったですね」と笑った、との述懐もある句集『米壽光来』(1987)所収。(今井肖子)


April 122007

渡辺白泉

鶯や製茶會社のホッチキス

年の茶摘は何時から始まるのだろう。スーパーの新茶もいいけれど、静岡からいただく自家製のお茶はすばらしくおいしい。新興俳句時代の白泉は「今、ここに在る現実」をタイムリーな言葉で捉える名人だった。製茶会社も鶯もおそらくは静岡に住んでいた白泉の体験から引き出されたものだろう。最近は機械化されて手揉みのお茶は少なくなったらしいけど、掲句が作られたのは昭和32年。製茶会社も家族分業でお茶を摘んで乾かし、小分けに入れた袋をぱちんぱちんとホッチキスで留めてゆく小さな会社だったろう。裏手の竹林からホーホケキョとうぐいすの声がホッチキスを打つ音に合いの手を入れるように聞こえてくる。そんな情景を想像するにしても句に書かれているのは、鶯と製茶会社のホッチキスだけである。二句一章のこの句は眼前のものをひょいと取り合わせたように思えるけど、おのおのの言葉が読み手の想像を広げるため必然を持って置かれている。鶯の色とお茶の色。ホッチキスとウグイスの微妙な韻。直感で選び取られた言葉を統合する「製茶会社」という言葉が入ってこそ取り合わせの妙が生きる。のんびりした雰囲気を醸し出すとともに、どこかおかしみのあるエッセンスを加えた句だと思う。『渡邊白泉全集』(1984)所収。(三宅やよい)


April 232008

村上元三

鶯もこちらへござれお茶ひとつ

は「春告草」、鰊(にしん)は「春告魚」と呼ばれ、鶯は「春告鳥」と呼ばれる。鶯には特に「歌よみ鳥」「経よみ鳥」という呼び方もある。その姿かたちよりも啼き声のほうが古くから珍重され、親しまれてきた。啼くのはオスのほうである。鶯の啼く声を聞くチャンスは、そう滅多にないけれども、聞いたときの驚きと喜びは何とも言い尽くせないものがある。誰しもトクをした気分になるだろう。しかし、春を告げようとして、そんなにせわしく啼いてばかりいないで、こちらへきて一緒にゆっくりお茶でもいかが?といった句意には、思わずニンマリとせざるを得ない。時代小説家として売れっ子だった元三が、ふと仕事の合間に暖かくなってきた縁側へでも出てきて、鶯の声にしばし聞き惚れているのだろうか。微笑ましい早春のひとときである。「こちらへござれ」とはいい言葉だ。のどかでうれしい響きを残してくれる。妙な気取りのない率直な俳句である。何年前だったかの夏、余白句会の面々で宇治の多田道太郎邸にあそんだ折、邸の庭でしきりに鶯が啼いていたっけ。あれは夏のことだから老鶯だった。歓迎のつもりだったのか、美しい声でしきりに啼いてくれた。春浅い時季の鶯の声はまだ寝ぼけているようで、たどたどしいところがむしろ微笑ましい。元三には「重箱の隅ほじくつて日永かな」「弁慶の祈りの声す冬の海」などの句もあり、どこかしらユーモラスな味わいがあるのが、意外に感じられる。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 202009

柳家小三治

鶯のかたちに残るあおきな粉

は「春告鳥」とか「花見鳥」とも呼ばれるように、季語としては通常は春である。けれども、東北や北海道では夏鳥とされ、「老鶯」の場合は晩春から夏にかけてとされるのだから、この時季にとりあげてもよかろう。鶯はきれいに啼く声や鮮やかな鶯色、つまり声と色彩に注目して詠われることが多い。俳句では「鶯」の一語に、すでに「啼いている鶯」の意味がこめられているから、「啼く鶯」とも「鶯啼く」とも詠む必要はない。小三治は、ここでは鶯の「かたち」から入って、青黄粉の「あお」に到っている。そこに注目した。餅か団子にまぶして食べた青黄粉が、皿の上にでもたまたま残った、そのかたちが鶯のかたちに似ていることにハッと気づいたのであろう。青豆を碾いた青黄粉の色は鶯色に近いし、そのかたちに可愛らしさが感じられたのであろう。黄粉も青黄粉も、今は和菓子屋でなければ、なかなかお目にかかれなくなった。この投句があった東京やなぎ句会の席に、ゲストで参加していた鷹羽狩行はこの句を“天”に選んだという。そして「すばらしい。歳時記を出す時には〈鶯餅〉の例句に入れたい」とまで絶賛したと、狩行は書いている。青黄粉といえば、落語に抹茶とまちがえて青黄粉と椋の皮を使ったことで爆笑を呼ぶ「茶の湯」という傑作がある。その噺が小三治の頭をちらりとかすめていたかも……。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


April 062011

畑 耕一

電柱をめぐりかくれぬシャボン玉

ャボン玉は、やはり「石鹸玉」とは書かずに「シャボン玉」か「しゃぼん玉」と書いて、ふんわりと春風にかるーく飛ばしてみたいものである。「シャボン玉」と表記すると、あのキラキラ感が伝わってくるし、「しゃぼん玉」と表記すると、ふんわりふわふわしたやわらかさが強調される。「石鹸玉」と表記すると、ゴワゴワした固い感じがしてなかなか割れそうにない。表記によって、たった一つの日本語の微妙な奥深さが感じられてくる。寒さの冬からようやく解放されて、飛ぶシャボン玉の存在は一気に春を広げてくれる。吹き飛ばされたシャボン玉が、電柱にまとわりつくように見え隠れしながら、空へのぼっていく様子が見えるようだ。「シャボン」はポルトガル語。現在は通常「シャボン」と呼ばれるよりは「セッケン」と呼ばれることが多いのに反して、「シャボン玉」という呼び方がしっかり残っているのはおもしろい。耕一は俳句をよくして、句集に『露坐』『蜘蛛うごく』があり、春の句に「鶯や額ヒにのこる船の酔」がある。成瀬桜桃子の「しやぼん玉独りが好きな子なりけり」も忘れがたい。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 292012

林芙美子

硯冷えて銭もなき冬の日暮れかな

のなかも心のうちも、冷えきっている冬の日暮れである。使われることのない机の上の硯までもが冷えきってしまっていて、救いようがないといった様子。硯の海が干上がって冷えているということは、仕事がなくて心も胃袋も干上がっていることを意味している。けれども、その状態を俳句に詠めたということは、陰々滅々としてどうにも救いようがないという状況とは、ちょっとニュアンスがちがう。いくぶんかの余裕が読みとれる。辻潤は芙美子の詩集『蒼馬を見たり』を「貧乏でもはつらつとしている」と高く評価したが、この句は「銭もなき」ことにくじけてはいない。この句には自注がある。芥川龍之介の作品を読んで、「こんなのがいいのかしらと、私も一つ冷たいぞっとするようなのを書いてみようと、つくって、当分うれしかった」というのである。「こんなのが……冷たいぞっとするような……うれしかった」という言葉に、したたかささえ感じられる。貧乏を詠んだ芙美子らしい句だけれど、どこかしら余裕があるように思われる。19歳のときに初めて俳句を作ったという。「桐の花窓にしぐれて二日酔」「鶯もきき飽きて食ふ麦の飯」などがある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 182012

中村草田男

鶯のけはひ興りて鳴きにけり

の時、草田男は鶯を見ているのでしょうか。見ているならば、じっと観察しながら、鳴き始める前の「けはひ」を注視しているのでしょう。この時、草田男は、鶯を見ていないならば、静かに耳を澄まして鶯の「けはひ」にじっと耳を傾けていたのでしょう。この時、たぶん、世界で最も静かな場所である耳の中では、鶯の鳴き声を受けとめる準備がなされていました。「森の中で鳥が鳴く前には鳴き声の予感がある。」と、指揮者小澤征爾は言います。「楽器を演奏する時には、鳥が鳴く前の兆しから始めなければならない。」と、演奏者たちに指示します。鶯の鳴き声が求愛のそれならば、鳴く前のとまどい、逡巡、ためらいが「けはひ」となって、静かな耳の持ち主ならば、聴きとることができるのかも しれません。数年前、サントリーホールで聴いた小澤征爾のEroicaに、最初の30秒で涙を流しましたが、それも、演奏の前の「けはひ」から、すでに、やられていたのかもしれません。『日本大歳時記 春』(講談社版1982)所載。(小笠原高志)


April 162012

しなだしん

うぐひすや名もなく川のはじまれる

奥に住んでいた子供の頃、春になるとしばしば、もっと山の奥に入ったものだった。主としてワラビやゼンマイを摘むためだったが、それに飽きると、さらに山深く分け入る冒険心がわいてきた。道があるようでないような人っ子一人いない深い山のなかを歩いていると、明るい木漏れ日をいろどるように、あちこちから鴬の鳴き声が聞こえてきて、子供ながらに陶然というか「うっとり」とした気分になってくるのだった。句の作者もまた、そんな気分の中にいるのだろう。耳を澄ませば水の流れる音がしてきて、よく見ると、まだ川とも言えないような小さな流れが見えたのである。作者にはその流れが、近隣の名のある川の源流であることがすぐにわかって、この句が浮かんだのだと思う。末はどんな大河になろうとも、はじまりの流れに名前などはなく、そして永遠に名づけられることもないのである。そんな可憐な流れへのいとおしい思いが、まことに心優しく詠まれている。『隼の胸』(2011)所収。(清水哲男)




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